明治学院校歌


明治学院校歌

島崎藤村(1872-1943)

 

 

 明治学院校歌は、日本近代文学を代表する文豪で明治学院第一回生でもある、島崎藤村(1872~1943)の作詞です。明治39年に第二代総理・井深梶之助より依頼され作詞されたこの校歌は、前途洋々とした若者たちの姿を力強く、そして情景豊かに描いています。作詞を依頼された当時の藤村は、困窮にあえぎ、そのためにわが子3人を相次いで失うという、苦しみと悲しみのどん底にありました。そのような状況下で、若さと希望あふれる詩を作れたのは、明治学院に対する並々ならぬ思い入れを抱いていたからでしょう。

 藤村にとって明治学院は特別な存在でした。立身出世を目ざし、英語を学ぶために入学した藤村でしたが、キリスト教に出会い西洋文化の自由な校風の中で文学的素養が開花しました。また、校歌作詞当時は、詩人としての名声と決別し、自然主義作家としての第一歩を踏み出したときでした。藤村が新天地を切り開いた時、明治学院は少なからず関わっていたのです。

 冒頭の「人の世の若き命のあさぼらけ」とは、人生はじまりの夜明けを意味し、まさに自らの意思で人生を切り開くスタート地点に立ち、新しい人生を踏み出す若者たちの姿です。若き後輩たちの姿に、明治学院で学ぶことによって文学という新しい道を切り拓き、また詩人から小説家として新しい道を切開こうと躍起になっていた藤村自身の姿を重ねていたのかも知れません。生きてゆく中では苦しいことも悲しいこともあり、けっして楽しいだけではありません。それでも常に未来を見据え、力強く新たな道を切り開いてほしい。そういうメッセージが込められているのです。